アウトプットはインプットなんじゃないの?
どうも。
お昼に近所のラーメン屋でとんこつラーメンを食べながらふと考えていた事なんですが、
アウトプットってのはインプットになりうるんじゃないか?
と思い立ち、ブログを開設した次第でございます。
私は自分の考えを言語化して表現するのが極限に下手くそです。
言葉にしようとすると、何故か詰まってしまう。
文字にするのですら、頭の中で考えがこんがらがって何がいいたいのか分からなくなってしまうことが多々あります。
そういう理由から書いているので、このブログは思考の言語化の練習という意味合いも込めています。
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Twitterってあるじゃないですか。
皆さんが常日頃利用しているであろう例のSNSです。
私も例のごとくめっちゃ使ってます。見てると無限に時間だけが過ぎ去っていきます。
アレ、インプットにめちゃめちゃ便利なんですよね。
色々な人をフォローしていると、リツイートなんかでめっちゃ名言みたいなのが回ってくることがあります。
その度に『ほへー、確かになぁ』と思いながら流し読みしてそのまま、みたいなことがよくあるんですが、それってインプットにしか使えてないと思うんですよね。
何が言いたいのかというと、インプットだけして、アウトプットしていないんです。
皆さんにも経験があると思いますが、学校の授業って、習った数式(インプット)を他の例題とかに当てはめる(アウトプット)じゃないですか。
それを何度も繰り返すことで、ようやく自分の物になっていくんだと思うんですよ。
でも、Twitterって基本的にインプットにしか使えないので、結局何も自分の物にならない。
それってすごく勿体なくないですか?
何かにかこつけてどんどん知識を見せびらかして、そのまま自分の物にしたいじゃないですか。私はしたい。
アウトプットする形は何でもいいんです。
それこそ友達に話したりだとか、ネットの誰もいない所で吐き出したりとか、こうやってブログ書いたりだとか、音楽に乗せて歌ったり、海に向かって叫んだり、空に向かって叫んでみたり。
言語化しなくてもいいんです。プラモデルを作ったり、模型を作ったり、そういうのもアウトプットの一種だと考えています。
でも、何もかもを自分の物にしようとするとちょっと難しいです。二律背反的な考えが出来上がったりしちゃうこともあるからです。
だから、自分の中に信念のようなものを持って、それに沿ってインプットしたいものを取捨選択して、どんどんアウトプットすればいいと思います。
僕の場合は、それをブログという形で発信してみよう、と思っただけです。
さて、ここまで読んでくださいましてありがとうございました。
それでは、また。