所感

日々思ったことを書き連ねます。

押し付けの幸福

はじめに

決してこれは自己啓発的な文章ではない。むしろ私の最近悩みのようなものである。

よかったら、これを読んでいる諸君も、諸君らなりの答えを考えて助けてほしい。

 

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幸せの形は、人によって違うものである。

 

存外世の中には、これを理解していない人が多いように思える。

かくいう私も物事の当事者になると自分の事で精一杯になってしまい、あまり周囲の人を気にしていられなくなるのだが。ただ、これを奥底の思想として持っているかいないかでは人間としてかなり雰囲気が違うのではないだろうか。

私が幸せだからあの人もそうであるべきだ。

きっとこれをしたらあの人は喜んでくれるだろう。

そういった考えは実は押し付けなのではないか?と、最近は思えるようになってきた。

 

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好きな人を諦めたくなかった。

 

私は最近まで、世渡り上手な方だと思っていた。

人と話せば大体の世間話には同調出来るし、嫌われない話し方というのが出来る。

仲がいい人は知っていると思うが、私は誰に対しても”敵対する行動”を取らない。

いじめられようが手は出さないし、馬鹿にされようが殆どの場合言い返さない。

それと、人に一度好意を覚えると、それを取り消すことが出来ない。

好きな人が嫌なことをしようと「でもあの人はいい人だから」と、私は諌めたいと思ってしまう。

多分、その人にいい人で居てほしいんだと思う。

 

ただ、それって押し付けなんじゃないだろうか?多方面的な物事の捉え方が出来ず、自分の考えに相手を当てはめてしまっているのではないだろうか?

本来ならば、その人の悪いところは見ないふりをするべきなのかもしれない。

私の周りの人達は結構単純で、たとえ仲が良かった人でも、その人が暴言を吐いていたりするとその人の見えない所で簡単に「あいつ嫌い、言葉きついし」と言う。ある意味尊敬する。私には決して出来ないことだから。

その度に私は「そういうのは直接言わないと変わらないよ、ちゃんと言いなよ」と言う。

そしてそのあと、本人にこっそり「最近○○君言葉きついぞー」と忠言したりするのだ。

 

これは、本当に正しいことなんだろうか?

私も周りに従って、その人からゆっくりフェードアウトするべきなんだろうか?

そんなのはあまりにも寂しいではないか。

 

だが、それは一切本人の幸せを考えていない。私にとっての幸せなのだ。

私はその居場所自体が好きだから、その形を崩したくなかったのだ。

だが、それが本人にとって良いことだったのかはわからない。そいつのことを揶揄していた友人が本当はそいつのことが嫌いで、離れて行きたかったのかもしれないと思って、結局身動きが取れなくなってしまった。

 

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異なる幸せの形がぶつかった時、一体どうするのが正解なのだろうか。

認め合える環境下にあるならば、互いのことを尊重出来るのが一番いい解決方法なんだと思う。

だが、そうではなかった時は?第三者が混じった時なんかは?

 

悩みの種は尽きない。